1. おぎゃー から 成人まで

1954年11月30日。
当時のクラシック音楽ファンは、名指揮者フルトベングラーが亡くなった、と言う知らせに落胆していた。
ちなみに、父もその中の一人。
で、代わりに生まれて来たのがワタクシ
父親は「この子はフルトベングラーの産まれ変わりや!」とマジで思ってたらしい。

そのために、3つぐらいからまわりの子はそこらへんで遊び回ってる時に「タダで(足踏み)オルガン教えてもらえる」と言う理由で、
浄土真宗にもかかわらず教会の日曜学校行かされてました。

小学校入学のお祝いがアップライトピアノ。
「そんなんいらんし!」って思ってたけど親父のこと恐かったし言えなかった。
このころ近くのピアノの先生のとこに通っていた時、今になって思えば「もっとちゃんと真面目にやっとけよ…」と思うことばかり。
おもっくそ変な子供やったと思う
。 ベートーベンのソナタを違うキーで演奏したり、リピートしたら全く違うニュアンスで弾いたり…。
何で毎回同じことせなあかんねん?

中学時代の自慢は「賢かった」。
当時、大阪府下一斉学力テストで1位(同順数名)に一回だけなったことが有る。
ほんとに勉強するのが好きやった。疑問が解決していくのが、この上ない快感。

でもその頃から友人たちとロックバンド組んで、ギターばっかり弾いてたな。
そのころはピアノは「全く」弾いてなかった。
仲間内のコンサートやるときに、ジミ・ヘンドリックスの「紫の煙」やろう、
という話になったところ、皆目手も足も出ない。
ところが、友人でちゃんと弾いてる(ように聞こえた)ヤツがいる!
「こりゃ太刀打ちできんわ!」なら僕は?そや!鍵盤楽器なら!
当時、男子でピアノとかオルガンなんか弾けるヤツはまずいなかった。
そこでバニラファッジの「キープミーハンギングオン」をやろう!ということでエーストーンのオルガン買って。
それから、サンタナに狂ってABRAXASのアルバムは完全コピーしてました。
他のドラム・ベース・ギターはとにかく聞いてマル覚えしていくのに、なぜか僕一人、五線紙に音符書いてた。

僕の音楽人生が決定づけられたのは、初めて自分のお金でチケット買って見に行ったコンサート。
EXPO1970に来たセルジオメンデス&Brasil '66。衝撃でした。
「こんな音楽が世の中にあったんや!」「ピアノやんか!」「この音楽はどうやったら演奏出来る?」

ボサノバとジャズがキーワードみたいだったので、早速レコード店へ。
「ボサノバとジャズのレコード、おすすめを何枚かください」
ボサノバは、セルジオメンデス&Brasil '66とアントニオカルロスジョビンの「波」。まあ、順当。
ジャズは…オスカーピーターソンの「プリーズリクエスト」はいいとして、あとの1枚が!
マイルスデイビスの「ビッチェスブリュー」!!!
ジャズ初めて聞くのに、あれは強烈…でもなかった。サンタナのABRAXASと同じ印象やった。

これが高校時代。全く勉強してません。学校の成績、評価不能とかなったし。親父怒るし。
「元はと言えば、アンタがピアノ習わすからや」とおふくろキレるし。
気が付いたら、親父、家出て両親は離婚してた。

「何か金稼がなあかんやん!」
その頃、何とかコードも弾けるようになり、
曲がりなりにアドリブらしきことも出来るようになっていたおかげで、
「某梅田のキャバレー」でプロデビュー。
1974年12月1日。そう。20歳になったと同時にプロデビューなんですよ。

その後は こわいもんなし Duke時代 へ。