2. こわいもんなし Duke時代

20才で飛び込んだバンド稼業。
この「キャバレー」という場所は、初めての者には「目が点」になることばっかり。
僕は、とにかく曲を覚えまくった。理由はね…………………。
当時、ショウタイムで「ヌードショウ」とかやってて、それの伴奏するわけです。

譜面見てたら、ショウが見れない!

そら覚える覚える!
一番後からそのバンドに入ったのに、1ヶ月で譜面は一切見ずに仕事していました。

その店で一番若くで美人の子が、家が僕の家のすぐ近所だったので、
店長に「この子を必ず家まで送り届けてくれ」って頼まれたり…。
普通そんなことバンドの人間に頼むか?一番危険やのに…。
よっぽど僕が安全牌に見えたんやろな。

当時は大阪で言うと、場所が「新地」「キタ」「ミナミ」「市内」「郊外」とか、
また店の種類で「ホテル・ラウンジ」「クラブ」「サパークラブ」「キャバレー」
とかいうランク付けがあって、
「新地」の「クラブ」或は「ホテル・ラウンジ」を目指して頑張っていました。

何とか3年程で「新地」の「クラブ」にピアノトリオで仕事が出来るように、本人はなったつもりでした。

ミナミの Duke という、当時のジャズ喫茶から、
「お酒出して毎晩ライブをやる店にするから来てくれないか?」という話が有った。
その頃の僕はというと「オレ天才やん!何でも出来るで!」ってマジで思ってた。
だからその話も「やったろやん!」っていうノリで…。

メンバーは、今や日本を代表するドラマーの一人、東原力哉。
初代ポンタボックスのベーシスト、今やプロデューサー、水野正敏。
と、ボク。

この三人で何をやってたかと言うと、ウェザーリポートの(ほぼ完)コピー。
東原力哉は始まったら最後、フルボリュームで常に何かを叩いてる。
水野正敏は16分音符全部なんか弾いてる。
ボクは、シンセサイザー10台位並べて、アンプは500W。

そこにジョーザヴィヌルとジャコとピーターアースキンが聞きに来ても、平気でバードランドやってた。
あー恐ろしや。

渡辺香津美さんが来られたときも、
「香津美さん〜、いまのバンドをクビにして、このバンドでしましょうや!」てなこと平気で言ってた。
あー恐ろしや。

でも東原力哉と水野正敏は、その後渡辺香津美さんとちゃんと共演してるし。

この Duke にもう一つ出演していたバンドがあって、ナニワエキスプレス。
初代のドラマーが辞めることになり、東原力哉を引き抜いて東京へ行ってしまった。
なぜか水野正敏は、あても無いのに東京へ行ってしまった。
Duke は近所からのあまりの騒音苦情に店をたたんでしまった。

しかたがないから私はスタジオワークに精を出すこととなる。


この後は こわいもんだらけ Studio時代 へ。