3.こわいもんだらけ Studio時代

このころ25-6歳。

当時は関西でもTV・ラジオ番組やCM等の音楽の需要がかなりありました。
それに加えて、世は「カラオケ」の成長期。
今の通信カラオケとちがって、全てスタジオで生演奏して録音していました。
シンセサイザーを扱えるプレイヤーが当時は貴重だったおかげで、
そこに呼んでもらえるようにはなったのですが…。

スタジオで出される譜面は、それまで見ていた譜面とは内容も違うし、
求められるクオリティーも全く違ってました。
ヘッドホンから流れてくる「ドンカマ」と言われるメトロノームに対してジャストテンポで弾くことが要求されます。
それまで好きなようにやりたい放題やっていたのが、
何かにコントロールされた状況でやらないとあかん、という状況に慣れるのに少し時間はかかりました。
録音されたものを再生すれば、「ダメ」なところは一目瞭然。
こわいこわい!!!

でもまあ徐々に慣れていって、結構忙しく動き回りました。
昼間にCMの録音2本してからカラオケの録音、
終わって夜の新地の仕事、
終わって深夜からそのカラオケのダビングを朝まで、
なんて生活をしてました。

まして世はバブルの真っ最中。
ジャケットのポケットには封を切っていないギャラ袋がいくつも、という、今では考えられない状態。
シンセサイザーの新製品が出ると、とりあえず買う。
聞く時間も無いのに、CDもとりあえず買う。
但し「遊び」には全く行かない。
正月から大晦日まで、朝から晩まで仕事。

この頃最初の結婚をしていたんですけど、
同じ家にいて1週間ぐらい嫁・子供の顔も見ず、声も聞かず、なんて生活が続いた結果離婚。
根っから仕事好きなんだけど、モノには限度が有る、と気が付いたのがその頃。
気分転換に、初めて、自分の金で仕事が絡まない旅行に出かけました。

もうちょっとリラックスして生きていってもいいやんか

世の中のバブルもそろそろ弾けかけて来たかな?という頃でした。


この後はO阪O大時代